2008年5月26日月曜日

米国は排出量取引制度に踏み込めるか?

http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20080519/157419/
議論は始まったが消費者の説得は容易ではない
2008年5月23日 金曜日 安井 明彦
米国で、排出量取引制度の導入に関する議論がにぎやかになってきた。大統領選挙の各候補者は、党派を問わず制度導入に前向きである。米議会でも、関連法案の審議が進んでいる。論点は制度設計の具体論に移ってきたが、有権者に「エネルギー価格の上昇」に対する理解を求める努力は遅れがちだ。
●明らかに風向きが変わった
米国では、温暖化対策に関する風向きの変化を象徴する2つの出来事が続いている。焦点は「排出量取引制度」の導入だ。第1は、共和党のジョン・マケイン上院議員による提案である。共和党の大統領候補指名を確実にしているマケイン氏は、5月12日の演説で排出量取引制度の導入に向けた私案を明らかにした。既に昨年10月に具体案を明らかにしている民主党のバラク・オバマ上院議員と併せて、次期大統領を争う2人の候補者が、具体論にまで踏み込んで、排出量取引制度の導入を公約した格好だ。第2に、米上院が排出量取引制度の導入を盛り込んだ法案(提案議員の名前からリーバーマン・ワーナー法案と呼ばれる)を、6月上旬に本会議での審議にかける予定になった。同様の法案は過去にも提案されていたが、委員会での採択を経て本会議に駒を進めたのは、この法案が初めてだ。温暖化対策に消極的なブッシュ政権の存在を考えると、今年中にリーバーマン・ワーナー法案が成立にこぎ着ける可能性は必ずしも高くない。しかし、最近の米議会と大統領候補の動きは、来年誕生する新政権の下で排出量取引制度の議論が大きく前進する可能性を示唆している。
●「中身」の議論が進む
 潮目の変化は、議論の焦点が具体的な制度の中身に集まってきた点にも感じられる。世界的な動向からすれば今さらの感もあるが、米国では数年前まで温暖化問題そのものが存在するのかどうかが議論されていたことを考えれば大きな変化である。中心的な論点の1つは、排出枠の初期配分である。排出量取引制度の下では、政府が二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスの「総排出量」を定め、これに相当する「排出枠」を設ける。温室効果ガスを排出する企業には、排出権の獲得が求められる。排出権の販売や購入は市場を通じて実施されるが、その市場を設置する前段階として、まず当初の排出枠を配分する方法を考えなければならない。具体的な方法としては、 (1)過去の排出量などを基準に企業に排出枠を無償で配分する(2)オークションによって販売する という2つの方法が考えられる。マケイン候補は、当初は無償配分とオークションを併用し、次第にオークションの比重を増やしていくべきだと主張する。これに対してオバマ候補は、当初からすべての排出枠をオークションにかけるべきだという立場である。
●無償配布かオークションか
 両者の根本的な違いは、温暖化対策のコスト負担に関する考え方にある。排出量取引が温暖化対策になり得るのは、温暖化ガスの排出に追加的なコストがかかるようになり、関係者にこれを最小限にしようとするインセンティブが働くからだ。追加コストの表れである排出枠の“価値”は、取引市場を通じて決定される。米議会予算局(CBO)によれば、排出量取引制度の導入によって、年間で総額500億~3000億ドルの新たな価値が生み出される。無償配分の場合、こうした新たな価値は少なくとも第1段階では、配分を受ける企業の手に渡る。他方で、排出枠をオークションで売却した場合、その収入は国庫に入る。環境保護団体などの「100%オークション派」は、排出枠を無償配分すると結果として企業を潤すだけだと指摘する。また、市場を介さない無償配分では、適正な配分先の決定は難しく、癒着の温床になりかねない。むしろ、オークションによって排出枠の価値を国がいったん“吸収”し、エネルギー価格の上昇で苦しむ低中所得層の支援や、代替可能エネルギーの開発資金に再配分すべきだ──というのがオークションを支持する立場からの意見である。無償配分を期待する声は産業界に根強い。市場原理を前提にすれば、排出量取引によるコストは製品価格の上昇を通じてすべて消費者に転嫁される。しかし現実には、企業の価格転嫁能力は一様ではない。新たな制度への移行を容易にするには、産業ごとの事情を勘案しながら、無償配分という一種の補助金を給付する必要がある──というわけだ。
●2020年までに電力価格が5%上昇
忘れてはならないのは、初期配分の方法にかかわらず、排出量取引制度の導入は、多かれ少なかれ、「エネルギー価格の上昇」につながるという事実である。電力会社などは、排出コストを製品であるエネルギーの価格に転嫁せざるを得ないからだ。米エネルギー省の試算によれば、リーバーマン・ワーナー法案(無償配分とオークションの併用)による排出量取引制度を導入すると、2020年までに米国の電力価格を5%上昇させることになるという。市場原理を通じて温暖化ガスの排出量を抑制するには、エネルギー価格の上昇は欠かせない要素である。しかし、米国ではガソリン価格の高騰が続いており、政治的な圧力は逆方向にかかりやすい。実際にマケイン氏は、ガソリン税の徴収を一時的に取りやめ、消費者の負担を軽減すべきだと提案している。これによって実際にガソリン価格が低下すれば、温暖化ガスの排出抑制とは逆方向のインセンティブが働いてしまう。それでなくても米国の消費者は、“エネルギー高騰時代”の到来を実感している。ギャロップ社が5月初めに行った世論調査では、ガソリン価格の高騰を永続的な価格変化だととらえる割合が8割近くを占めた。こうした中で、政策的にエネルギー価格を上昇させることの必要性を消費者に納得させることができるのか──。それが、排出量取引制度を成功させるための条件になる。


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