出典:http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20080924/171512/?P=1
2008年9月25日 木曜日 クロサカ タツヤ
2年で世界シェアが半減した日本の太陽電池
CO2(二酸化炭素)削減のため、石油の代替エネルギーとして注目度を高めている太陽電池。米国の太陽電池専門誌「PVニュース」のまとめによると、2007年の太陽電池の生産量は、世界で3733メガワット。これは前年比で約50%増で、世界的に環境意識が高まっていることを裏付ける。これに対して、日本は約1%減の920メガワットへと減少。2005年には半分近い世界シェアだったが、わずか2年で約25%へ落ち込んだ。なぜ世界で強まる環境志向の波に乗れていないのか。
前回(「韓国製ディスプレイで溢れる欧州」 )に引き続き、再び欧州でこのコラムを書いている。あちこちを移動していて気づくのは、太陽光や風力など、自然エネルギーの利用に取り組んでいるということだ。
ギリシャは特に熱心だ。郊外をドライブしていると海沿いの山々には風力発電の風車が数多く設置されている。また、市街地にあるアパートの屋上などを見ると、太陽電池のパネルが目に飛び込んでくる。それなりの割合に達しているように思う。
とある田舎町で、アパートの上にある屋根裏部屋のようなところに泊まった。そこにも太陽電池のパネルがあった。ちょうどいい機会なので、屋上に出てパネルを眺めてみた。メーカー名は「THOMSON」と書いてある。周りを見渡してみると、その地域には仏トムソンのパネルが多かった。いずれも、世代は少し前のようだ。
欧州のメーカーもあれこれ取り組んでいるが、市場の寡占が進んでいるというわけでは、まだなさそうである。おそらくまだまだ開拓の余地が十分残されているのだろう。その意味で、日本のメーカーにもチャンスはある。しかも、日本は太陽電池の分野をリードする立場だと認知されている。
裏付けとなる技術力があってこそだが、実は「リーダーだと思われている」ということは非常に重要である。リーダーの言うことに相手は耳を傾けてくれるし、説明の手間も省けることが多い。つまり、この分野はまだ「ニーハオ」ではなく、「コンニチハ」で挨拶してくれるというわけだ。今後、大いに飛躍してほしいと期待している。
エコ“ブーム”ではない欧州
ところで、欧州が石化燃料に替わるエネルギーの創出に熱心なのは、単にCO2(二酸化炭素環)削減を目的とした環境保護や温暖化対策に熱心だというだけではない。大きな問題意識として、エネルギー安全保障を取り巻く複雑な事情がある。
私は安全保障問題の専門家ではない。それでも安全保障を意識せざるを得ないのは、“流しのコンサルタント”として欧州で何人かの投資銀行家とミーティングをしていると、共通するアジェンダの1つに、必ず「ロシアとどう向き合うか」という話が出てくるためだ。感覚的には、日本にとっての「中国とどう向き合うか」に近いかもしれない。
米国や英国からの情報が多い日本では、欧州とロシアは対立しているように見えるかもしれない。しかし、実は欧州は経済・産業の分野は相変わらず一枚岩ではなく、ロシアとの関係にも濃淡がある。結論として、英国はロシアと対立しているが、ドイツとフランスについては、ロシアのヘゲモニーの下に入りつつあると考えていいだろう。
ドイツについては、ロシアからの天然ガスに工業や生活を依存しつつある。端的にいって、ロシアと喧嘩したら、冬を越せなくなってしまう状況だ。またフランスについても、ロシアをマーケットとしてとらえ、軍事産業も含めて様々な取り組みを進めている。先日のグルジアでの戦争の仲介にサルコジ大統領が乗り出し、停戦の軌道に乗ったのは記憶に新しいが、こうした関係が出来つつあるのである。
天然資源を背景にしたロシアのプレゼンス拡大を、苦々しく思う人は少なくない。確かに彼らのやり方は時として暴力的である。また日本もサハリンの天然資源開発で苦汁をなめた経験があるように、契約や商取引に対する誠実さは、西側先進国の水準には達していない面があるように思う。先日の資本市場の混乱でも、すぐに市場を停止させてしまったように、資本主義に対する理解が未成熟なのだろう。
それでもロシアのプレゼンスは長期的には拡大していくというのが、欧州の投資家たちの共通した見方である。今回の資本市場の混乱を期に、今、世界では急速に「ファンダメンタル(実体経済)に戻れ」という号令がかかっており、おそらくこの流れは当面続く。だとすると、その実体経済を支える天然資源を握るロシアは、やはり有利なのだ。
だからこそ、そうした天然資源に依存しない生活・産業形態が、必要となるのである。天然資源への依存は、その産出国への依存ということである。すべての自給は不可能だとしても、ある程度のポートフォリオは持たなければ、自分たちの国家としての自立性が脅かされる。そしてこの分野はまだ未成熟で、高度な科学技術や生産技術が必要であり、いま自分たちが取り組めばまだ間に合う…。欧州各国が自然エネルギーや代替燃料の研究開発や普及促進に熱心な理由の1つはここにある。
太陽電池を投げ出した“前科”
翻って、日本はどうか――。一部で大きく報じられている通り、太陽電池の世界市場で、2007年に異変が起きた。それまで発電量(生産量)トップを走っていたシャープが、1999年設立のドイツの新興メーカーであるQセルズに、その座を奪われたのだ。さらに、中国のサンテック・パワーも急伸している。これに対して、日本メーカーはシャープだけでなく、トップ10に名を連ねる京セラや三洋電機なども成長は鈍化しており、状況は厳しい。
このように日本メーカーが足踏みしている理由として、専門家はおしなべて2つの理由を挙げる。1つは、大規模資本調達を含めた世界的な競争激化に、日本メーカー単独ではキャッチアップできないということ。特にこれは原料となるシリコン調達を「買い負ける」要因にもなっているようだ。もう1つは、政府による推進策の停滞。2005年度に太陽電池普及のための補助制度が廃止され、住宅向けの国内需要が急激に冷え込んだという。
これに対して、Qセルズのあるドイツでは、政府による強力なテコ入れが行われている。家庭や事業所の発電を、電力会社が市場価格よりも数倍高い価格で買い取ることを義務づけている。このやり方ならば、10年前後で設備投資は回収できるとしている。
もちろん日本政府も、座して見ているだけというわけではない。6月には、福田康夫・前首相および政府の総合資源エネルギー調査会からそれぞれ、太陽光発電に関して「2030年に現状の40倍を目指す」という指針が示された。これ自体は力強いものであり、実際に産業界も歓迎しているようだ。
ただ気になるのは、こうした施策に果たして一貫性が確保されるのか、ということである。なにしろ現実として、2005年度に補助制度が打ち切られ、需要が落ち込んだ、という前科がある。政府予算が厳しい状況にあるのは重々承知だが、そんな時期だからこそ、次の時代に必要となる「戦略物資」については厚く長く補助をする、というメリハリが必要なはずだ。まして、言い出しっぺの福田氏自ら、政権を投げ出す始末である。本当に信じていいのだろうか、という疑念が生じるのがむしろ自然となる。
“次世代IT戦略会議”の時期に
産業の活性化については、「民間部門が主役、公的部門は脇役」という議論が出てくる。これ自体は原則として正当であるべきと思う。ただそれでも、技術や市場が未成熟な分野で、かつ戦略的に取り組む必要があるものについては、脇役も積極的に役割を演じるべきである。実はIT(情報技術)も、その1つであると考えている。
分かりやすい例では、インターネット。最近でも、大きな動きが起きている。米グーグルがWebブラウザーを開発した途端にブラウザーのシェアが変わり、米アップルがiPhone(アイフォーン)を開発した途端にサービスの姿が変わる。まさに、未成熟そのものである。
消費者の目には触れない通信の世界でも同じだ。IPv4アドレス(現在利用されているインターネット上の認識番号)の枯渇が目前に迫っていたり、経路制御(データ転送の道のりの制御)が崩壊しつつあったり。無線通信の技術も発展途上と、課題山積である。
さらに情報解析技術や管理運用技術などを含めると、ITが持つ潜在能力からすれば「まだ何も始まっていない」という段階なのかもしれない。欧州では、こう事態を正面からとらえているからこそ、フランスの「QUAERO(クエロ)」やドイツ「THESEUS(テセウス)」といった検索エンジン開発の国家プロジェクトが、各国で始まっている。
確かに「ITは未成熟、だから国がやるべき」という議論は稚拙なものだ。それに、未成熟であるからこそ新たなビジネスチャンスが多い、とも言える。ゆえに、「ITは民間が進めるべき」という認識が定着しているのだろう。しかし、だからといって政府の支援を全否定するというのも、ITに対する広い理解が不足しているのではないだろうか。
ドイツのQセルズの躍進が示すように、ITをさらに進展させる上で障害となる規制があるのであれば、それは解消すべき課題だ。こうした取り組みは、政府でしか出来ないだろう。また、解析技術やデータ管理のような「後方支援や兵站の技術」は、情報に関する国家安全保障にも関わる問題であり、単純に事業化が困難だからといって頓挫させるべきではない。こうした支援の姿もあるだろう。こう考えると、世界のリーダーとして期待されている太陽電池の日本メーカーを失速させてしまった政策は残念でならない。
ちょうど資本市場の潮目が変わり、リスクマネーの質も変化してきた。再出発は、自分たちの自立を守るために何が必要なのか、それはITという面では何なのか、という戦略を明確にすることから始まる。おそらく今後は、これまでのような「ITベンチャー礼賛」一辺倒の時代ではなくなるだろう。ならば、単に目の前のビジネスや利便性だけでなく、ITと国家の関わり方という深い議論を進めていくべき時期に入っているのではないだろうか。
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